2011年2月26日土曜日

我が自転車史

昨日はやたらあったかく、春一番?みたいな風の日だった。
朝から撮影に出ていたので、あったかい日差しや日だまりは享受できなかったけれど、クルマで移動しているときのエアコン設定で、この時期とは思えない気候を実感した次第。

今日は、久しぶりの休日!
これから走りに行ってこようと作戦を考えている(笑)。
だいたい、走りに行く先には、美味しいものがあったりするんだけど・・・。ストイックな走りのための走りということをしない怠惰な人間だから仕方がない。それでも昔は、修善寺のロードコースを走ったり、東京近郊の山道を走ったりもしていた(自己弁護)。

タイレルSZのサドルセッティングは、結局1日にしてならず、で、アーレンキーを常時携帯しながら、連日の通勤時にチョコマカと微調整を繰り返していた。片道10キロにも満たないけれど、ある程度は決められるものの、完璧なフィッティングを目指すと、もっと長距離を走らなければ・・・。
ともあれ、昨日の帰り道では、相当いい感触になってきた。



タイレルSZ、このチビが僕のところにやってきたのは、色々と複雑な経緯がある(笑)。
その前に、自分自身の自転車との関わりを書いておこう。

僕は、フェンダーのストラトキャスターと同じ歳(笑)。
もうビンテージモデルだ!

ものごころついた頃は、世田谷の実家周辺を、三輪車で疾走するガキだった。それが、成長と共に、姉のお下がりの22インチの自転車<アリス号>に変化し、親の乗っていた、内装3段ギアの26インチ自転車へと・・・。そのうち、どうしても自分の自転車が欲しくなり、小学校の4年の時、最初の愛車を手にした。

その頃の少年雑誌に広告が出ていた<FUJIツアー10>というスポーツ車が欲しくてほしくて、その雑誌の切り抜きを日夜眺めて暮らしていた。ところが、運がいい(悪い?)ことに、自宅の隣に住んでいたSさんという方が、大の自転車フリークで、その方に相談にいったところ「その自転車を買う予算があるなら、オーダーで組んであげよう」という小学生の僕にとっては、意味不明?!の展開になっていった。
もう、そうなると親も公認(笑)、Sさんが僕を連れて行ってくれたのが、世田谷通り・上町にある<長谷川自転車商会>。いまでもある(笑)。そこの若旦那(いまはじいさん)が、身長や手の長さ、足の長さ(短さ)を見て、フレームを設定、色々なパーツを組み合わせて、僕のための自転車を作り上げてくれた。僕が口を出せたのは、色だけ(笑)。ドロップハンドルにしたかったけれど、却下され、オールランダーハンドルに・・・。大きなベルを付けたかったけれど、軽量なロード用のベルに・・・そう、すべて、長谷川のおやじと、Sさんの趣味で僕の自転車は組まれていったのだった(笑)。

最初の愛車は
ロイヤルノートンのハイテンフレーム(当時は、てっきりイギリス製だと思っていた)
26-3/8のタイヤ
ARAYAの軽合リム
ミルレモのハブ
ワイマンのブレーキ
TAのコッタードのクランク
サンツアーのRD(5s)
本所の泥よけ
BELTの皮サドル
ソービッツのブロックダイナモ(ランプ)
記憶にある仕様は、こんなところ。これがベース車両となって、僕の自転車生活がはじまった。

この自転車、いわゆるランドナー。
小学校の時は、この自転車で、東京近郊を走り回っていた。
それが、中学になり、体型も変化し、少しずつヴァージョンアップを繰り返す。

最初に手をつけたのは、ハンドルをドロップハンドルへ変更。
当時、長谷川自転車のショーウィンドウに鎮座していたチネリのフレームに憧れていたせいもあり、迷わずチネリ(笑)。布のバーテープを苦労して巻いた。ディレーラーも、フロントに追加、ダブルとし、10s化!銘柄も、サンツアーからユーレーへ昇格。そのうち、フレーム自体を、東叡社(TOEI)のクロモリへ。高校に行く頃には、もはや原型の面影はなくなっていた(苦笑)。


当時、サイクリングから帰宅した時の写真(笑)


自転車で旅をしたくて、ワイマンのウィングナットを装着し、日本自転車連盟に登録、輪行できる環境を整え、行動範囲も、関東周辺から、信州、関西へと広がっていった。
その間にも、仕様は変化を続け、RDがサンプレックスになったり、クランクがコッタレスになったり、リムが変わってタイヤが650Bになったり、発作的に自分で塗装をしたり・・・もう、訳がわからないほどの進化?を続けていた。
当時の自転車友だちは、神金やゼファー(東京サイクリングセンター)のロード乗りが多く、一緒に走るために、フロントを52Tにしたり、、、、意味不明な改造もしていた(苦笑)。

そんなこんなで、三輪車〜自転車、モーターサイクル、自動車と、タイヤのついたものはすべて好きな性格ゆえ、物理的に無理がある三輪車を除いて、すべて同時並行で付き合ってきた。

大学に入ってからも、自転車には乗り続けていたけれど、うちに遊びに来ていた友人が終電が過ぎてしまったので、自転車を貸してくれ、と・・・軽い気持で貸した愛車は、二度と戻って来なかった。そう、友人宅から盗難にあっていまった・・・。もう、すごいショックで、自分の歴史が一気に崩壊したような気分になった。
でも、盗まれてしまったんだから仕方がない、警察に届けを出し(これがいいかげんな対応だったんだよな)、友人の持っていたギターをカタにとって(エピフォン・リビエラ)終結!?
それから10年以上、自転車なしの生活を送ることになった。

再び自転車に気持が動いたのが、ちょうどベルナール・イノーと、ローラン・フィニョンが死闘を繰り広げていた「ツール・ド・フランス」を現地で見てしまったから。
最初は、興味本位でアルプスの山登りを観戦していたのだけれど、ホンモノを目の前で見てしまうと・・・ヤバイ!。コロンビアの山岳男ヘレラに惚れ、イノーの男気に惚れ、フィニョンの力強さに惚れ、結局おっかけになってしまい、パリ・シャンゼリゼのゴールまで見届けてしまった。もう頭の中は、ツールツールツールツールで帰国した(笑)。

帰国してから、街の自転車屋さんが気になって仕方がない生活を送り、未体験のロードバイクへの憧れが増幅していった。そんなある日、自転車屋さんのショーウィンドウに、サンツアーの25周年記念(だったと思う・・・城東輪業の記念かな?)のブロンズメッキを施され、箱に入ったシュパーブプロのパーツを発見!。もういてもたってもいられない精神状態に陥ってしまった。
ブロンズに似合う色は・・・DICのカラーチャートを見ながら、自分だったら#640だな、とか(笑)。で、数日後、その店にクロモリ・ロードバイクのオーダーをしてしまった。それが今から30年近く前の話(古)。でも、そのバイクは出番は少なくなってしまったものの、今でも現役で走っている。

いかん、こんなことを書いていたら、昼になってしまった。
走り出さなければ、目的地には到着しない!
昼飯を食べに行こうと思っていたのに・・・
では、いってきまーす(続きは気が向いたときに:笑)

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