2011年2月27日日曜日

タイレル快走!

昨日は、自宅を出てから北西へ針路をとった。
環状8号線を、適度なペースで走り、高井戸を過ぎたあたりで左折、久我山のあたりから玉川上水を散策。桜桃忌にはまだ早いが、静かな上水沿いをゆったりと走る。

東橋あたりで休憩

途中、煙と水分を補給して、記念写真。写真を撮ることを生業としているわりに、自転車の写真は、いつも携帯というのもいかがなものか(苦笑)。とはいえ、でかいカメラを持って走るのも重いし・・・ま、いいか(笑)。

走行中、RDの入りが悪いのが気になる・・・トップに入りずらい状況になっているので、調整しなくては!。でも、なんとかだましだまし走行は続く。玉川上水に井の頭公園付近で別れ、こんどは南進。調布飛行場のプロペラカフェにでも立ち寄ろうかと思ったが、チェーンロックを忘れたことに気がつく(間抜けだ!)。てことは、目の前にタイレルを置いておけるところではないといけない(盗難防止)。そこで、深大寺の蕎麦屋へと向かう。道路沿いに1件、駐車場と店がつながっているところがある。そこの屋外で蕎麦!。天ぷらととろろ。いやぁ、日本人でよかった(笑)。

うまい!

蕎麦を食べ終わると、もはや日が傾きかけている。そこから調布へ下り、京王多摩川の橋を渡り、多摩川沿いに南進。途中、多摩川CRに入り、和泉多摩川〜二子玉川へ。途中、またもや煙と水分補給で休憩していると、後から走ってきた人に、タイレルSZについての質問を受ける。その方は、<自転車タイヤショップmaruco>さんのブログで、僕のタイレルを見た!ということ。世の中は狭い(笑)。しかし、昨日は風が強く(一昨日ほどではないけど)、けっこう空気抵抗を感じながらのライディング。体積が大きな僕の後を、カンパのフリー音を響かせる人がピッタリついてくる(苦笑)。振り切りたいけど、無理、、、でも、前に行ってくれない!。ま、仕方がないというか、レースではないので、そのまま二子玉川で東京側へ。そこから246を東へ向かい、駒沢の手前から自宅方向、北北西に進路をとる。

本日の走行距離:38.6km

自宅に戻ると、すっかり夕闇。
それから、息子と一緒に実家経由で晩飯に。僕は麻婆茄子定食、息子はチャーシュー麺に、ライス大盛り!。若いってことはいいな(笑)

さて、今日もこれから少しばかり走ってこよう。今日はどこへ・・・風の吹くまま、気の向くまま!

2011年2月26日土曜日

我が自転車史

昨日はやたらあったかく、春一番?みたいな風の日だった。
朝から撮影に出ていたので、あったかい日差しや日だまりは享受できなかったけれど、クルマで移動しているときのエアコン設定で、この時期とは思えない気候を実感した次第。

今日は、久しぶりの休日!
これから走りに行ってこようと作戦を考えている(笑)。
だいたい、走りに行く先には、美味しいものがあったりするんだけど・・・。ストイックな走りのための走りということをしない怠惰な人間だから仕方がない。それでも昔は、修善寺のロードコースを走ったり、東京近郊の山道を走ったりもしていた(自己弁護)。

タイレルSZのサドルセッティングは、結局1日にしてならず、で、アーレンキーを常時携帯しながら、連日の通勤時にチョコマカと微調整を繰り返していた。片道10キロにも満たないけれど、ある程度は決められるものの、完璧なフィッティングを目指すと、もっと長距離を走らなければ・・・。
ともあれ、昨日の帰り道では、相当いい感触になってきた。



タイレルSZ、このチビが僕のところにやってきたのは、色々と複雑な経緯がある(笑)。
その前に、自分自身の自転車との関わりを書いておこう。

僕は、フェンダーのストラトキャスターと同じ歳(笑)。
もうビンテージモデルだ!

ものごころついた頃は、世田谷の実家周辺を、三輪車で疾走するガキだった。それが、成長と共に、姉のお下がりの22インチの自転車<アリス号>に変化し、親の乗っていた、内装3段ギアの26インチ自転車へと・・・。そのうち、どうしても自分の自転車が欲しくなり、小学校の4年の時、最初の愛車を手にした。

その頃の少年雑誌に広告が出ていた<FUJIツアー10>というスポーツ車が欲しくてほしくて、その雑誌の切り抜きを日夜眺めて暮らしていた。ところが、運がいい(悪い?)ことに、自宅の隣に住んでいたSさんという方が、大の自転車フリークで、その方に相談にいったところ「その自転車を買う予算があるなら、オーダーで組んであげよう」という小学生の僕にとっては、意味不明?!の展開になっていった。
もう、そうなると親も公認(笑)、Sさんが僕を連れて行ってくれたのが、世田谷通り・上町にある<長谷川自転車商会>。いまでもある(笑)。そこの若旦那(いまはじいさん)が、身長や手の長さ、足の長さ(短さ)を見て、フレームを設定、色々なパーツを組み合わせて、僕のための自転車を作り上げてくれた。僕が口を出せたのは、色だけ(笑)。ドロップハンドルにしたかったけれど、却下され、オールランダーハンドルに・・・。大きなベルを付けたかったけれど、軽量なロード用のベルに・・・そう、すべて、長谷川のおやじと、Sさんの趣味で僕の自転車は組まれていったのだった(笑)。

最初の愛車は
ロイヤルノートンのハイテンフレーム(当時は、てっきりイギリス製だと思っていた)
26-3/8のタイヤ
ARAYAの軽合リム
ミルレモのハブ
ワイマンのブレーキ
TAのコッタードのクランク
サンツアーのRD(5s)
本所の泥よけ
BELTの皮サドル
ソービッツのブロックダイナモ(ランプ)
記憶にある仕様は、こんなところ。これがベース車両となって、僕の自転車生活がはじまった。

この自転車、いわゆるランドナー。
小学校の時は、この自転車で、東京近郊を走り回っていた。
それが、中学になり、体型も変化し、少しずつヴァージョンアップを繰り返す。

最初に手をつけたのは、ハンドルをドロップハンドルへ変更。
当時、長谷川自転車のショーウィンドウに鎮座していたチネリのフレームに憧れていたせいもあり、迷わずチネリ(笑)。布のバーテープを苦労して巻いた。ディレーラーも、フロントに追加、ダブルとし、10s化!銘柄も、サンツアーからユーレーへ昇格。そのうち、フレーム自体を、東叡社(TOEI)のクロモリへ。高校に行く頃には、もはや原型の面影はなくなっていた(苦笑)。


当時、サイクリングから帰宅した時の写真(笑)


自転車で旅をしたくて、ワイマンのウィングナットを装着し、日本自転車連盟に登録、輪行できる環境を整え、行動範囲も、関東周辺から、信州、関西へと広がっていった。
その間にも、仕様は変化を続け、RDがサンプレックスになったり、クランクがコッタレスになったり、リムが変わってタイヤが650Bになったり、発作的に自分で塗装をしたり・・・もう、訳がわからないほどの進化?を続けていた。
当時の自転車友だちは、神金やゼファー(東京サイクリングセンター)のロード乗りが多く、一緒に走るために、フロントを52Tにしたり、、、、意味不明な改造もしていた(苦笑)。

そんなこんなで、三輪車〜自転車、モーターサイクル、自動車と、タイヤのついたものはすべて好きな性格ゆえ、物理的に無理がある三輪車を除いて、すべて同時並行で付き合ってきた。

大学に入ってからも、自転車には乗り続けていたけれど、うちに遊びに来ていた友人が終電が過ぎてしまったので、自転車を貸してくれ、と・・・軽い気持で貸した愛車は、二度と戻って来なかった。そう、友人宅から盗難にあっていまった・・・。もう、すごいショックで、自分の歴史が一気に崩壊したような気分になった。
でも、盗まれてしまったんだから仕方がない、警察に届けを出し(これがいいかげんな対応だったんだよな)、友人の持っていたギターをカタにとって(エピフォン・リビエラ)終結!?
それから10年以上、自転車なしの生活を送ることになった。

再び自転車に気持が動いたのが、ちょうどベルナール・イノーと、ローラン・フィニョンが死闘を繰り広げていた「ツール・ド・フランス」を現地で見てしまったから。
最初は、興味本位でアルプスの山登りを観戦していたのだけれど、ホンモノを目の前で見てしまうと・・・ヤバイ!。コロンビアの山岳男ヘレラに惚れ、イノーの男気に惚れ、フィニョンの力強さに惚れ、結局おっかけになってしまい、パリ・シャンゼリゼのゴールまで見届けてしまった。もう頭の中は、ツールツールツールツールで帰国した(笑)。

帰国してから、街の自転車屋さんが気になって仕方がない生活を送り、未体験のロードバイクへの憧れが増幅していった。そんなある日、自転車屋さんのショーウィンドウに、サンツアーの25周年記念(だったと思う・・・城東輪業の記念かな?)のブロンズメッキを施され、箱に入ったシュパーブプロのパーツを発見!。もういてもたってもいられない精神状態に陥ってしまった。
ブロンズに似合う色は・・・DICのカラーチャートを見ながら、自分だったら#640だな、とか(笑)。で、数日後、その店にクロモリ・ロードバイクのオーダーをしてしまった。それが今から30年近く前の話(古)。でも、そのバイクは出番は少なくなってしまったものの、今でも現役で走っている。

いかん、こんなことを書いていたら、昼になってしまった。
走り出さなければ、目的地には到着しない!
昼飯を食べに行こうと思っていたのに・・・
では、いってきまーす(続きは気が向いたときに:笑)

2011年2月18日金曜日

英国からの贈り物

といっても、自分で発注した商品が届いただけなんだけど(笑)。

wiggleに発注してから、1週間弱。
はるばる海を渡ってやってきたのは、Selle Italia-SLR Gel Flow。
大げさな箱の中に、つつましく入って我が家に到着。



受け取ってから、出張の連続。やっと昨日開梱して、タイレルSZに装着した。
手に持つと、タイレルオリジナルのサドルより、ずっと軽い!
慎重にフィッティングを行う。
まずは、最初にオリジナルサドルで出していたセッティング位置にサドルを固定。
それで、自宅周辺をアーレンキーを持って走り回る。
時々止まっては、微調整を繰り返し、納得出来る位置を発見し、再度固定。
とても走りやすくなった。

まだロングランを試みていないから、正確なインプレッションは書けないけど、
いまのところ、とてもいい感触だ。



クルマのシートもかなりセッティングにはこだわる方だし、バイクのポジションも同様。
とにかく、自分の力を最大限に引き出すことの出来るポジションは、
どんなものでも、すべての基本。そう、仕事をする椅子もね!

椅子といえば、ちょっと前にカッシーナのLIMAを事務所の会議テーブル用に購入した。
これまたいい椅子で、座る喜びがある(大げさ)。
でもね、いいアイデアって、やっぱりいい環境が生み出してくれるような気がする。
だから、自分の周囲には、気に入ったものだけを置いておきたいんだよね(笑)。

クロモリのロードレーサーに付けているサドルは、IDEALという皮サドル。
最近はめっきり見なくなってしまったブランドだけど、30年近く前に装着して以来、
ずっと僕のお尻をサポートしてくれている。
当初、BROOKSや、サンマルコのロールス、セラ・イタリアのターボなどと比較して、
一番エレガントだな・・・という意味不明な選択だった。
でも、今でも、IDEALEにしてよかった、と、心から思っている。
かなりくたびれてひび割れのしたサドルだけど、25年の年月で培われたフィット感は、
とても他には代え難いものだ。

今、事務所にはクロモリロード、自宅にはタイレル、かなり贅沢だな、と考えつつ、
また1台自転車を組んでしまおうか、という自分がいる(苦笑)
あぁ、自転車って、いい!

2011年2月6日日曜日

偶然に生き延びる人たちを憂う

僕は、事務所への通勤に、車、スクーター、自転車と使い分けている。
自宅周辺の住宅街から、片側1車線の一般道、片側2-3車線の幹線道路、
色々な道を走る。

最近、車で走っていて、すごく気になるのが、無謀な自転車。
無謀というより、リスクマネジメントの出来ていない人たち。
平気で右側通行をし、無灯火で走り、一時停止をせずに飛び出す輩。
1ヶ月に何度かはヒヤリとすることがある。
もし、彼らをはね飛ばしてしまったりしたら、と思うと、ゾッとする。

僕が子どもの頃、自転車にはじめて乗り始め、一般道に出るようになったとき、
オヤジから相当厳しく交通ルールをたたき込まれた。
学校でも、交通の指導をきっちりと教わったように思う。
子どもが社会に出る、最初のステージが「交通社会」なんだと。

自転車は、とても自由な乗り物。
それを手に入れると、どこへでも行くことが出来る(脚と相談だけど)。
それがどうだ・・・
自由な乗り物じゃなく、勝手な乗り物(乗る人が)になっている!
自由っていうのは、約束事を守るから自由なのであって、
約束事を守らなければ、勝手そのもの。

めんどうくさいオヤジの戯れ言かもしれないけど、おいおいだよ(苦笑)。
少なくとも、右側通行はやめてほしい。無灯火もやめて欲しい。

右側通行だと、対面する車との相対スピードは一気に上がる!
気づいた時には、もう遅い可能性もある。
死にたいならいいのかもしれないけど、殺してしまった方は夢見が悪い。
それに、だいたい右側通行をしているやつは、
自転車ですれ違う時に、歩道側に避ける。これが最悪だ。
自転車で走っているときに、突然車道側に車線変更を余儀なくされるのは、
非常にキケン。なんてったって、後ろに目がないし。

とにかく右側通行をするような奴は、
自分さえ良ければ(助かれば)、他の人間はどうなってもいい(死んでもいい)、
そんな勝手な思考を持っている人たちなんだろうな・・・

あと、無灯火・・・
自分は見えていても、相手からは見えないってことを理解していない。
自分の存在をアピールすれば、それが直接セーフティマージンになるのに・・・
後方ライトも、身を守るためには、絶対に点灯して欲しい。
あなたまかせの反射板じゃ、リスクマネジメントにはならない。
おまわりさんに叱られないために、フロントだけ、ってのはいかがなものか。

とはいえ、おまわりさんの自転車マナーも、この国は最悪だ。
歩道を疾走するおまわりさんを見ることも多いし、並走するおまわりさん、
おまわりさんだって、交通機動隊に取り締まって欲しいね(笑)。
まあ、おまわりさん自転車は、ほとんど整備不良(苦笑)。
まともにタイヤに空気が入っているのを、見たことがない(嗚呼)

ま、交通に関しては、日本という国は、しっかり後進国。


この前、ロンドンに滞在していた時、右側通行をしている自転車は皆無だった。
きっちり車道を走っていく。みんな、ヘルメットをかぶり、反射ベストを着て・・・
車も、自転車を邪魔にすることもなく、狭い道では、自転車の後をゆっくり走る。






あ、一度だけ歩道を走る自転車を見た。
でもね、それが東洋人で・・・ひょっとしたら日本人? ちょっと恥ずかしかった。

日曜の朝、なんだか愚痴でスタートしてしまったけど、今日はいい天気。
ちょっと<タイレル・チビ太>で走りにいってこよう!

みなさんも、いいライディングを!!

2011年2月3日木曜日

冬はさむあつい

久しぶりにチビ太に乗って事務所へ出た。
寒い日や忙しい日が続くと、
どうしてもクルマでの出勤が多くなって不健康(苦笑)
本日は行きがけに、国立東京医療センターに立ち寄り、
腕に出来ていた腫瘍の経過観察。
去年、あれだけ心配させやがった腫瘍君は、ほぼ消え去っていた?!
担当医曰く「これは卒業ですね」
かなり脅かされたわりには、クールに無罪放免。
病名は、<急性筋膜炎>だったとのこと。ま、とりあえずよかった。

チビ太こと、タイレルSZは、今日も快調。

marco自転車タイヤショップさん
<http://marcocycletire.donburako.com>で組んでもらった
H PLUS SONのホイールも気分良く回る!
駒沢公園脇にある病院から、碑文谷の事務所までは、あっという間。
20インチのミニヴェロとはいえ、ほぼロード仕様のチビ太は元気だ。

ガレージに置いておくと、盗難が怖いので、
もちろん室内駐輪場(笑)
記念写真を1枚携帯で撮影(おいおい、仕事は何だ?!)
しかし、ちび太を手に入れてから、色々手を入れて(ややこしい)
ノーマルの面影はあまりなくなってきた。
フレーム以外はもうオリジナルなものはないかも(やり過ぎだ)
唯一残っているのは、ヘッドセットとサドルのみ。
そのサドルも、つい出来心で一昨日の晩、
wiggleでセライタリアの白を、ポチッと・・・!

今週中にははるばる英国からセライタリア君、来日予定。
さて、この先、タイレル・チビ太君は、
どんな変貌を遂げていくのだろうか、、、
僕も怖い(特に財布が:苦笑)

事務所からの帰り道、経堂までまっしぐら。
最後のスプリントポイントで、汗びっしょり! 
あぁ、冬は暑い(笑)